記 事: Northwestern大学滞在記
学生との国際会議
Anak先生との再会
Northwetern大学
四方山話
米国流賢いやり方
SPring-8の一日

Northwestern大学滞在記



−Weertman 研究室にて−

左1番目: 坂田博士(現在,SPring-8,今でも会ってます)
左2番目: 私
真中:   Prof. Sean(現在米国で大学の先生)
右2番目: Prof. Rahul(現在インドで大学の先生)
右1番目: インターンシップで研究していた地元の高校の先生


ちょっと(かなり?)古いのですが...

【渡 航】
 私は長年の夢が適えられ,1998年5月1日より1年間,文部省在外研究員として米国Northwestern大学Dept. Materials Science & Engineeringへ留学させて頂きました.渡航前には,ビザの取得に不可欠な書類(IAP-66)が豪雨のために破損した状態で届き,書類をホスト大学から再発行してもらうという不測の事態がありました.そのため,出国に際しては時間的に厳しい状態でしたが,学内の庶務の方々のお陰で予定通りに出国できました.

 出発直前の壮行会で,学科のある先生が「この種のトラブルは通常起こらない.出国を遅らせろという天からの警告だろう」と真顔で言っておられたので,米国へ向かう航空機内では海外での研究生活に胸膨らませる一方,「ジャンボ機墜落」の大見出しの下に,不敵に微笑む自分の顔写真が掲載された新聞を思い浮かべていました.

【到着1ヶ月】
 私生活に関する問題は当人の問題であると米国人は考えているので,私が渡航後に最初にしたことは,アパート探しでした.渡航1週後に嵐の中,EL (イェ〜ル,名物の高架鉄道)でアルカポネの街Chicagoまで契約に行きましたが,英語力も十分ではなく心細い思いをしました.大学への登録や自動車購入を終え,一応生活できるようになったのは数週間後でした.


【2人のWeertman教授】
 渡航時,Chicago近郊のO'Hare空港では,ホスト教授であるJ. Weertman教授(Hans先生)がJ. R. Weertman教授(Julia先生)とともに迎えてださり(飛行機が1.5時間も遅れていたのに),日本食レストランで歓待してくれました.米国で最初の食事が日本食でした.

 両教授は夫婦でオフィスも隣同士です.困ったのは両教授を呼ぶ時に「Weertman 教授」では区別できないことです.両教授から「Hans,Juliaと呼んでほしい」と言われましたが,日本人の私にはそれができず,しばらくフルネームで呼んでいました.私の滞在中にMexicoから来た研究者も呼称に困り,両教授を「Prof. Weetman, Ms. Weertman」と呼んでいましたが,Julia先生はご不満のようでした(今では,Julia先生の不満の理由がわかります).

 Hans先生は転位論に基づく材料の力学評価で有名です.特に高温クリープについては「Weertmanモデル」という有名なモデルがあります.近年には,き裂先端からの転位放出に関する研究に力を注がれていました.先生はDept. Geological Sciences の教授を兼任されており,転位モデルを地質学へ応用するなどの功績により,南極近海の小島が「Weertman島」と命名されています.その一方,先生はシャイでコメディ好きという意外な面をお持ちで,このアンバランスが何とも興味深いものでした.

 Julia先生は,現在,ナノクリスタル(nanocrystalline materials)の強度評価を実験的に行っておられます.この分野で先駆的な研究を多数行っており,現在でも精力的に研究を続けられています.大戦中はHans先生と対日本兵器の開発に携わったにもかかわらず,多数の浮世絵を所有するなど,とても日本びいきです(御宅の二階へ上がる階段に,額縁に入った浮世絵が見られます).これも,諸先輩方がJulia先生に好印象を残されたためと思います(Julia先生は,本当に子供と日本人がとても好きでした).

 Julia先生は非常に丁寧で,婉曲的に表現することがよくあります.例えば渡航直後,"Your English is sometimes very good."と言われました.私は「自分の英語もまんざらではないな」と思っていましたが,後で「あなたの英語は時々しか分からない」という真意に気づいて赤面しました.何とも日本的な英語でした.

【研 究】
 私は渡航前,京工繊大 齋藤 憲司 先生,荒木 栄敏 先生,静岡大 石井 仁 先生および東洋運搬機(株)中村 輝雄博士とともにHans先生の著書 "Dislocations Based Fracture Mechanics" の翻訳に取り組んでいました.私がNorthwestern 大学へ留学したのは,この翻訳と齋藤先生および石井先生がNorthwestern大学に留学経験があったことが直接の理由です.

 日本で研究計画を作成して渡航しましたが,初回の打合せでHans先生から頂いた厳しい一言,「どこにオリジナリティがあるのか?」で再考を余儀なくされました.かなり悩んだ末に,当初計画したテーマ内で,ナノクリスタルの変形挙動のモデル化に取組むことにしました.これは村外志夫先生のMicromechanicsを基礎として,大きい結晶粒から小さい結晶粒への微視的降伏が材料全体の巨視的な降伏挙動にどのような影響を及ぼすのかを,解析的に示そうというものでした.研究初期には,森 勉 先生にもアドバイスを頂きました.論文上に存在する架空の人物のように感じていた先生方と米国で出会え,震えが来るほどの感動でした.

【Northwestern大学】
 Northwetern大学には,Chicagoとその近郊の街Evanstonに2つのキャンパスがあります.私が通ったEvanstonキャンパスは5大湖の1つであるMichigan湖沿いにあり,天気が良い日には構内からChicagoの摩天楼が遠望できます.Evanstonは大学とともに発展した街で,その名称は1851年に大学を創設したJ. Evanstonに由来します.この街は禁酒法発祥の地としても有名で,酒類の販売がつい数年前まで禁止されていました.当時なら日本人(特に私)にはつらい街だったでしょう.

 大学には学部や大学院など合計12の組織あります.全米で3本の指に入る「Kellogg School of Management」には,毎年多くの日本人が留学しています.このビジネススクールは食品会社Kelloggの支援により設立された経緯から,コーンフレークなどが学生に無料で配られたりするそうです.それ以外にも.「School of Music」や「College of Arts & Science(スタートレックの「3 of 9」はここの出身)など,特色のある学部があり,著名な芸術家や俳優を輩出しています.

【所属学科】
 私が所属したDept. Materials Science & Engineeringは,McCormik School of Engineering & Applied Scienceに属する9学科の内の1つです.この学科は,正教授23名,准教授3名,研究スタッフ5名および秘書・事務員18名から構成されています.准教授が極端に少ないのは,規定年齢までに教授に昇進(すなわち,テニア取得)できないと任期が延長されず,自動的に大学を去らねばならないからです.教授にも違いがあり,「Walter P. Murphy Prof.」.などの肩書きを持つ方が8名います.米国では教授ごとに年俸が極端に違い,学科で残したい(引き抜かれそうな)教授との間に数倍の差があると聞きました.

 各教授の専門は電子デバイス用薄層,新材料・複合材料およびX線技術など多岐に渡っています.これらの研究では原子レベルからの検討が多く,TEM(透過型電子顕微鏡)は常にフル稼動の状態でした.Chicago近郊には核開発で有名なArgonne 研究所があり,そことの共同研究が積極的に行われている点が印象的でした.

 TEM,X線および万能試験機などの主要装置は種別ごとにまとめられており,学科所属の研究スタッフが専任で管理をしています.主要装置室へは各研究室から使用時間に応じて料金が支払われ,これが装置管理費や研究スタッフの賃金の一部になります.しかし,付属的な装置となると状況は全く違い,学生がその都度直して使っているものもありました.学生は「西部開拓時代からの伝統だ」と言っていましたが,彼らは装置が壊れても何とかしてしまうので驚きました.

【院生・ポスドク】 各研究室にいる院生やポスドクの数は,教授の研究資金力を直接,示しています.教授とポスドクの間には当然,雇用関係があります.しかし,私の所属した学科では教授と院生との間にも同様の関係がありました.そのため,教授の持つ力は絶大で逆らえません.それでも,米国人の考え方には「両者勝者(Win-Win)」というのがあり,上記の関係ではこれが成立しています.つまり,教授は院生やポスドクを雇って多くの論文を出したり,大学からの評価(院生の雇用は大学への貢献と見なされる)を得る一方,院生やポスドクは学位や将来のステップアップのためのキャリアを得ることができるのです.

 米国ではキャリアの持つ意味は非常に大きいようです.学位取得直後の学生でも,職を得る際には今までどこで何をしたのかが非常に重要視されるからです.ある学生は「職を得るためにはキャリアがいる.キャリアを得るためには就職しなければならない.どうしろというのか?(鶏とその卵の関係ですね)と愚痴っていました.

 ポスドクや院生達は働き者で,一生懸命に研究することで自分の将来を切り開こうとしているようでした.彼らの多くは議論好きで,ホワイトボードの前で頻繁に議論していました.そのような議論を積み重ねた結果をまとめて論文としているようでした.漠然とした印象ですが,彼らは弱者にはやさしく,自分と同レベルの者には常に戦いを挑み,強い者には挑戦するけれども結局従うという感じでした.



【付 録】
 フロリダのディズニーワールドや,ロサンゼルス,グランドキャニオン)へも家族で行きました.西部には,見渡す限り何も無いところがあり,広大すぎて日本人の私には寂しすぎる感じでした.
 一番の思い出は子供の幼稚園でのさよなら会でした.今思い出しても,米国滞在は楽し過ぎました.

【思 出】
 Northwestern大学には日本人会があります.現在,その会長は飯井 正博 教授です.飯井先生は,ご多忙の中,自宅でクリスマスパーティを開かれるなど,日本人学生・研究者の親睦のために献身的に努力されております.

 個人的には家族ともども,村 外志夫 教授およびさわ夫人に大変お世話になりました.先生は米国アカデミー会員であるばかりでなく,昨年には勲三等旭日章を受けられた程の方ですが,多くの方がご存知のように,大変気さくで暖かい先生です.先生とフットボールを見たり,ChicagoまでIrish Danceを見に行ったことは一生忘れられぬ思い出です.


【帰 国】
 嬉しいことに,帰国前には皆さんから毎日パーティ責めにあいました.帰国の際の航空機内では,1年間の本当に充実した楽しい生活を思い出していました.ほとんど毎日,アパートと研究室を往復して1年間が過ぎましたが,そこで得た知識,経験,自信あるいは研究者として受けた強烈な刺激は,何物にも代えることができません.私の一生の中でもこの1年間の輝きは決して消えることはないと思います.

【謝 辞】
 最後になりましたが,私を快く送り出して頂いた京都工芸繊維大学機械システム工学科の先生方,学生の指導をお願いした高周波熱錬(株)川嵜一博博士,住友金属工業(株)高橋渉博士,およびこのような機会を与えてくれた日本国政府に紙面をお借りして心よりお礼を申し上げます.

(日本材料学会誌1999年8月号に掲載していただいた記事を一部修正しました.)


【訃 報】
 偉大な先生であらせられましたNorthwestern大学教授 村 外志夫 先生が2009年8月9日にご逝去されました.謹んで哀悼の意を表します.


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