記 事: 米国四方山話
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米国流賢いやり方
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四方山話

 平成10年5月より1年間,米国イリノイ州シカゴ近郊の街エバンストンにあるノースウエスタン大学に文部省在外研究員として派遣して頂いた.日々の研究生活の中で,米国人学生の気質が日本でマスメディアという極狭い窓を通して垣間見た姿と異なっているのを強く感じた.そこで,この点について少し書いてみたい.

 日本人はとかく「アメリカ人は...だ」のようにレッテルを貼る傾向があるが,実際には米国人を一まとめに表現することは難しい.どのような切り口で考えても,正規分布で言えば標準偏差無限大ある.例えば私の場合,黒人といえば歌が上手でダンスができると思っていたので,ある人に「歌も踊りも上手なのでしょう?」と聞いてみたところ「私はダンスは苦手で音痴の黒人だ」と言われた.

 だが,私の所属した研究室の大学院生はとにかく明るく,その上おしゃべりで,日本人が米国人に持つ偏見と一致していた.研究室の学生達は何かにつけて話しかけてきて,喋りまくっていた.どうやら彼らは沈黙が嫌いらしい.同時期に研究室へやってきたインド人研究者も「議論はいいけど,あれじゃ研究にならないよね」と言っていた.しかし,彼らのおかげで私の悲劇的な英語力も少しは向上したようだ.




日本にはない真っ青な空


 このような米国人学生の気質は,研究のやり方にも大きな影響を与えている.一人黙々とやることを良しとする日本での研究とは異なり,彼らは違うテーマで研究しているにもかかわらず,お互い困ったことがあれば常に討論しあっている.したくなくても,討論を挑んでくる.とにかく好奇心いっぱいで,すぐに鼻を突っ込んでくるので「いいかげんにしてくれ」と思う時もあった.

 だが,今思い返してみると毎日のようにホワイトボードの前で繰り返される討論が,研究へと立ち向かわせる活力となっていた.つまらないことを自分だけでくよくよ考えるより,討論してもらったほうが時間的にも得である.また,私の暗い性格も,人と頻繁に話しあうことで少しは明るくなったようだ.
 日本は封建的な国と考えられているが,なぜか学生が教授に楯突くことが比較的許されている.意外なことに,自由の国アメリカでは学生が討論以外で教授に面と向かって楯突くことはない.原因の一つは,米国では教授と大学院生の間に雇用関係が成立していることにある.つまり,教授の研究資金が学生へ奨学金として渡されているのである.しかし,これは学生が優秀だからご褒美にくれるのではない.教授が金で学生の時間を買っているのだ.学生達は頻繁に教授と討論するので,時には激しいやり取りになるが,その後に賢い学生たちはつまらない世間話でちゃんと穴埋めをしていた.

 このように書くと,米国の学生達は虐げられていると思うかもしれないがそうではない.大学の年間の学費が300万円を超えるような状況で,学費+生活費(ただし,アルバイトは許可されない)がもらえて,さらに学位取得あるいはその後の就職で大切なキャリアを積むことができるのである.米国式思考法では,双方が納得するやり方を常に考える.

 修士あるいは博士を取得した学生に教授や大学が職を斡旋することはない.理由は職を得ることが個人的問題だからである.新修士および博士達は,就職時にまず知人などに紹介された研究所などへ申込書を送り,相手先が電話してくれるのをひたすら待つ.電話がくれば,その場で第1次試験開始である.その際に重要なのは,今までどのようなキャリアを積んで,今は何ができるかを説明することである.学位取得直後の学生達には,これは大変なことである.ある学生は「職がなければキャリアは積めない.キャリアがなければ職がない」とぼやいていた.

 美しい大学も街並みも,今となっては遠い過去へ行ってしまった.しかし,その輝きは一生消えることはない.住むことと旅行することは別次元のことであるから,学生諸君にも機会があればぜひとも諸外国で長期滞在し,生の体験を聞かせてほしい.

(以前学園便りに掲載していただいた内容を一部修正しました.)

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