安定同位体比の測定装置である質量分析計、および植物体や大気中CO2の安定同位体比を測定する方法について解説する。
安定同位体比は,安定同位体専用の質量分析計(isotope mass spectrometer;略してMASSと称される)を使って測定する。国内でよく使われている測定装置は、サーモエレクトロン社が扱っている、Finnigan MAT シリーズ(MAT252など)である。測定装置は大変高価(数千万円)で、メンテナンスにも手間がかかるため、生物系に関係する研究機関で導入しているところはあまり多くない(京都大学生態学研究センター、総合地球環境学研究所など)。
サーモエレクトロン社のFinnigan MAT シリーズを利用することを前提として解説する。質量分析計は通常、分子量64以下の軽元素の安定同位体比を測定する。サンプル中に含まれる元素の安定同位体比を質量分析計で測定するためには、あらかじめそれぞれの元素が気体になっている必要がある。H、C、N、O、S の安定同位体比はそれぞれH2、 CO2、 N2、 O2、 SO2などの気体で測定される。
測定にあたっては、サンプルと標準物質の安定同位体比測定を交互に行う。サンプルの単独測定を行わない理由は、測定に長時間かかるためその間に装置のドリフトが生じ、測定精度を悪化させるためである。短時間であれば測定値の信頼性は高いため、短時間の交互測定を4回〜10回繰り返し、標準物質からの偏差の平均値を算出する。サンプルと標準物質はそれぞれサンプルポートとスタンダードポートの導入口(インレット inlet)から導入され、チェンジオーバーバルブにより交互に分析管に送られる。気体分子の平均自由行程を長くするために、質量分析計の内部は10−5Paの高真空に保たれている。導入された気体はイオンソースを通ってイオン化され、加速電圧をかけられて高速で磁場に進入する。磁場ではイオン化された気体は直角方向の力を受けて進路が曲げられる。質量に応じて曲率が異なるため、ここで分子量の異なる分子を分離することができる。ファラデーカップと呼ばれる装置でイオン化された分子を受け取る。
N2については質量数28、29、30(14N14N、14N15N、15N15N)の3つのファラデーカップが、CO2については質量数44、45、46(12C16O16O、13C16O16O、12C16O18O)が用意されている。
安定同位体の測定にあたっては、国際標準物質 international standardが定められている。国際標準物質は希少であることが多く、実際の測定には国際標準物質に対する安定同位体比が既知であるワーキングスタンダードが用いられる。
安定同位体 | 標準物質 | 略称 | 安定同位体比 |
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2H/1H (D/H) | ウイーン標準海洋水 Standard Light Antarctic Precipitation |
VSMOW SLAP |
0.00015576 0.000089089 |
13C/12C | Pee Dee ベレムナイト* | PDB | 0.0112372 |
18O/16O | ウイーン標準海洋水 Pee Dee ベレムナイト Standard Light Antarctic Precipitation |
0.0020052 0.0020672 0.0018939 |
|
15N/14N | 大気 | 0.003676 | |
34S/32S | Diablo峡谷隕石* * | CD | 0.045005 |
*アメリカ・ノースキャロライナ州のPee Dee層に算出する矢石(イカの仲間の化石)の炭酸カルシウム
**アメリカ・アリゾナ州のDiablo峡谷にあるクレーターで算出する隕石の成分(トリオライト)
サンプルのガス化と同位体比測定が同時にできる,燃焼システムと質量分析計が接続された自動分析装置を使って分析が行われている。例えば京大生態学研究センターでは、EA1108(燃焼システム)、Conflo II (インターフェイス )、Delta-S(質量分析計)を組み合わせたものが共同利用で使用されている。
測定の前処理は,サンプルを穏やかに熱乾燥させて(60〜80℃),有機物が混入しないようにしながら40メッシュ程度に細かく粉砕する。なるべく細かく粉砕した方が計量するときに楽である。粉砕器は IKA社の連続式ミルや藤原製作所の高速振動粉砕器などを使用すると粒度が細かくなる。保存するときには吸湿と虫害に注意。
1回の分析に必要なサンプルの量は植物の炭素を分析する場合は0.2〜0.3mg程度。計量してスズ箔に包み、オートサンプラーにセットする。FinniganのEA1108を使用したシステムでは一度に50サンプルがセットでき、装置の調子がよければ1日に100サンプル以上分析できる。具体的な測定手順についてはそれぞれの装置のマニュアルを参照のこと。
京大生態学研究センターでは、有機物の炭素や窒素のワーキングスタンダードとしてアラニンやチロシンが用いられている。測定精度を確認するためにアラニンやチロシンを10サンプルあたり1回程度分析する。
樹木の年輪の水素や酸素は年輪気候学の分野でよく分析が行われている。化学変化が生じないように保存されたサンプルのセルロースを抽出し、ニトロ化してニトロセルロースとする。このニトロセルロースを燃焼させ、酸素の安定同位体を分析する場合は二酸化炭素を、水素の安定同位体を分析する場合は水を収集して安定同位体比を測定する。酸素の場合は燃焼システムと質量分析計が接続された自動分析装置を使って測定ができる(らしい)。水素の場合は真空ラインを使ってニトロセルロースから発生した水を収集し、さらに水素に還元する必要がある。
植物は採取後、すぐにガラス管に密閉する。真空蒸留によって水を抽出し、酸素の安定同位体を分析する場合は二酸化炭素と交換平衡させて二酸化炭素を収集しその安定同位体比を分析する。水素の安定同位体を分析する場合は亜鉛を触媒として水を水素に還元し、収集してその安定同位体比を分析する。
大気中のCO2の炭素安定同位体比を測定するためにはCO2を精製する必要がある。このためにはパイレックスガラス製の真空ラインを使用する。真空ラインは光信理化学製作所などのガラス製品メーカーに注文して制作する。